ブックタイトルみちのだい185号

ページ
23/30

このページは みちのだい185号 の電子ブックに掲載されている23ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

みちのだい185号

61「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。」(『逸話篇』196「子供の成人」)しわ「…心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで。心も、皺だらけになったら、落とし紙のようなものやろ。そこを、落とさずに救けるが、この道の理やで。」(『逸話篇』45「心の皺を」)教祖のお言葉一つひとつに込められた大きな親心を噛み締め、五年十年という長い期間を気長に地道に寄り添う大切さを痛感しています。また、見るもいんねん、聞くもいんねん、世話取りするのはなおのこと、とお聞かせ頂きますように、私自身、叔父が統合失調症で在宅でしたので、その中を祖父母や両親がただ神一条に、抱えて連れて通る後ろ姿を見て育てて頂きました。結婚後も事情教会復興のご用を頂戴して夫婦で通る中、会長である主人が一時期うつ病になり、その後、美唄の教会を継いでからは、大勢の精神疾患の方をお預かりするようになりました。そしてその道中に今度は子供が不登校になったりと、次々と家族にもふしをお見せ頂きました。神様は自分のいんねんや癖性分を悟りやすいように、同じいんねんの魂の者をお引き寄せ下さいます。「さあこのメンバーでたすけ合いなさい」とおっしゃって頂いているのが、今現在の私達の家族であり教会につながる人達なのだと思います。私は高慢な人間なので、「こんなにしてあげてるのにどうしてそうなの。いつまでそうなの」という心が、なかなか取れませんでした。精神疾患は、自分の感情にとらわれてしまうのも一つの症状ですが、それは私自身の我の強さを見せて頂いている姿でもありました。「神様なんていない」と何度も言われ、自分自身が本当に神様を信じてもたれていないことに気づかせて頂いた日もありました。見せて頂いたふしの中に自分達のいんねんを悟り、夫婦でさんげした日もありました。現在も、前進しているのか後退しているのか分からなくなる日もあり、それは一進一退の病状を繰り返す人々の姿そのものかもしれません。でもそのおかげで、心を病む子を持つ親や家族のお気持ちに寄り添えるようにもなりました。今、目の前で苦しんでいるこの人に、どうしたら神様のご守護を伝えることができるのか、それにはまず、現在もその人が頂戴している大きなご守護に、私自身が気づくことが大切です。日々の中で喜びを見つけ味わい、その喜びを噛み締め膨らます努力を続けることです。「死にたい」と喜べずにいるその人の分まで、私が二人分喜ばせて頂こうと心を定めたら、少しずつ「死にたい」と言われなくなったこともあります。をやのめにかのふたものハにち??にだん??心いさむばかりや十五66精神疾患は脳の機能障害ですので、自分の意思だけで良く