ブックタイトルふるさと会報第62号

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概要

ふるさと会報第62号

『創設者と海外布教』天理大学ふるさと会顧問森井敏晴二代真柱様は教祖の教え全体の中から二つの重要な教理の要諦を発見されています。一つは親神様が御自身のお立場を「『神』『月日』『をや』」と表現を変えつつ顕現されていることの発見であります。(この場合、あえて「発見」という言葉を使います。)この発見は世界の「神学」「教義学」「宗教学」にとって、まさに画期的な発見であり、過去の宗教の中で「神」はをや「父」や「母」ではあっても、「両親」であることを教えた宗教はないと思います。そしてもう一つは「海外布教」(「世界だすけ」)の重要性の発見です。その理由は、現在言われている「グローバル」という表現では表しえない、新たな信仰的「信」の世界観が、異民族、異文化との関わりなくしては理解されえないと思われたからではないでしょうか。本来、「海外布教」という思考・行為の中にはグローバル思考を超えた真の「いちれつきょうだい」の思想が発出する要素がかくされているからです。天理大学を創設された二代様は教祖の御教理の中から「海外布教」の重要性を認識されたのは「おふでさき」の「いちれつきょうだい」というお言葉は、地球規模の人類の平穏・平和のためには「海外布教」という行為による誠心ある献身・挺身の結果得られるものであると思われたからだと思います。せかいぢういちれつわみなきよたいやたにんとゆうわさらにないぞや(十三号43)このお言葉は或る意味では教理の中核的存在をになうお言葉であります。「いちれつきょうだい」という認識なくしては「世界平和」もありませんし、教祖の御理想である「陽気ぐらし世界」の実現もありえません。しかし「いちれつきょうだい」という教えは耳には心よく響きますが、いざ実行となるとこれほど難しいことはありません。そのように人を愛し、そのように人を尊び、そのように人を大切にすることはお互いは十分に知ってはいても、血を分けた親子の仲、兄弟姉妹の仲でも現実に遭遇する相克は誰でもが経験することです。いわんや異文化の中で異民族同士が、兄弟の如き心で互いに心打ちとけ合って救け合うことは至難のわざであります。「海外布教」を通して、長いその異民族達との付き合いの間には、時として受け入れ難い関わりが発生し、「理不尽」な諍いが起こることがあります。それは同民族・同文化の中で発生するものとは基本的に価値や質の異なるものとの相克です。それでも、教祖はその心の痛みに耐え誠真実をもってそれを超えよ、と教えられます。その教理に従って真の「いちれつきょうだい」の実践を行うこと自体、これはもう一つの自己修業です。それは同質の集団の中では決して体験しえない貴重な痛みなのかも知れません。しかしこの修業が実は大切なのであって、「海外布教」とは異民族に天理教の信仰を教えることではなくて、私自身の「心の成人」、つまり私という自我を超え、親神に「よしよし」と容認される心遣いを獲得するための自己修行の場であるとの強い自覚が必要です。「理不尽」を超えなければ真の「たんのう」「いんねんの自覚」の心は生まれて来ないものです。或る意味では異文化の中にあってこそ、こうした、教理の本質を見出しうることがあります。「海外布教」が教理的に重要な意味はここにあります。二代様はこのことに強く注目され天理大学の教育を通して、こうしたことに耐え、それを乗り越えられる人材の育成を望まれたのだと理解しています。ここにこそ建学の精神の原点があると思います。こうした「いちれつきょうだい」の教理が、私達が「日本人」を意識するように、それぞれの国にあって、「よふぼく人」という普遍性ある意識醸成の原因をになうようになればと思っています。10ふるさと会報第62号